2019年9月13日 (金)2:39 晴れ BGM 主よ人の望みの喜びよ(ヨーロピアンジャズトリオ)

ドリンク バターコーヒー&ミネラルウオーター

 

早起きと朝起きという概念があるらしいのです。

早起きというのは、言葉通り早く起きること。

朝4時起床と決めているなら、毎朝4時に起床する。

これが早起き。

朝起きは、目が覚めたら、そこで二度寝したりしないで

その時が何時だろうとしっかりと起きて、朝の活動を始めるということ。

朝、目覚める。

それはどういうことなのか。

それは僕らを見守っている存在(もしも本当にいるのだとすれば)からの「今、目覚めればいいことがあるよ」または「起きないとまずいよ」というメッセージなのだということ。

だからいつもより30分や1時間くらいであれば、早く目覚めてしまったなら

そこからもう朝をスタートさせる。二度寝はしない。

それが朝起きなのだそうですね。

世の成功者と言われている人々はこのことをしっかり守っているのだそうです。

ということで0時半に目覚めてしまった僕は、それでは、と今、ブログを書いているんです。


ここ1年ほど、ライフハックという、自分自身の身体と心を自由自在に好転変化させることに興味津々なのです。

今朝のように、毎朝早く(早すぎて、それはもはや夜だという意見もありますが・・・)起床して、誰よりも早く、1日をスタートさせるということ。

食事の量を制限して、中身を吟味し、贅沢はせずに、1日の恵みである食をいただく。

ビーガンのスタイルも、そろそろ1年目。

今までにも何度もベジタリアン・ビーガンである時期はありましたが

仲間知人からの「健康にはよくないよ」という、今思えばそれは逆だよという妙なアドバイスに従い、結局はまたお肉をいただいたりということを繰り返してきましたが、今はもう本当に動物性の食べ物を食したくない。

体質と心の中の何かが、大きく変化したことに気づいています。

食べるという行為に対しての罪悪感・懺悔感。

そして、逆説として、食べることがもたらしてくれる人の和。

この世界はなかなかの矛盾でできている。

そして実は食べるという行為には、そこまでの罪はなくて

むしろ、料理をするということに、何らかの意味があってしまうような気もしています。

だから、食のありがたみを味わうのであれば、調理をせずに生でいただいた方が良いのかもなんて思っているのです。

僕は料理という行為が好きで、自分が調理した食物を喜んで食べてくれている姿がたまらなく嬉しいのだけれど、それってきっと人間の最も根源的な業の一つなのでしょう。

調理の相手は生き物なのですから。

そういう矛盾に満ちた世界の中で、許されながら生きている僕たちは

結局のところどこへ向かうのだろうなんて、こんな朝早くから考えてしまう。

考えてみれば不思議な話で、今僕はコーヒーを飲みながらブログを書いているわけだけれど、このはるか南の国から届くコーヒー。

この一杯のコーヒー豆を僕は50円ほどで手に入れることができているのだけれど、この一杯のコーヒーが僕の仕事部屋に届けられるまでに、いったいどれほどの多くの人々の手が携わってきているのかと、思いを馳せると、それは途方もない、まるで奇跡のようにさえ思えてくるんです。


最近は日が短くなりつつある中、朝日が昇る時間もだんだん遅くなり、この時間に窓の外を見れば、まだ僅かな月明かりのみ。

今夜は十五夜で中秋の名月ということで外を見上げたら

今は雲がかかってしまっていて、お月さまが見えていない。

今夜はまあるいお月さまが見られたらいいなと思います。

月より団子といいますが、僕が仕事の拠点としている富山市には、美味しいお餅屋さんが数件あるのです。

特に石谷餅店という餅屋さんがかなりの人気であり、今日みたいな日は、また早くに売り切れてしまうのでしょう。

と・・・こんな風に食べ物のことを考えてしまうという人というおろかさと矛盾に、何ともこの世の諸行無常を感じてしまいます。


今日はお花屋さんへデザインの納品。そしてライブハウス&カフェへ印刷した看板が届くだろうから、
その確認。そして実家へと立ち寄ろうと考えている。

ご仏壇でご先祖さまに手を合わせたい。

団子を買って、それぞれの場所へ笑顔で向かう、なんてイメージが脳内にありますが、これもきっと人間の業なのですね。


 

昨日、「ラブとポップ」がドン・キホーテで推しアルバムになっているよと聞き、久しぶりに焼き芋などを買いに店内に入ったら、
確かにお店全体を使ってディスプレイしてあり、DVDが流れていて、僕は一巡するそのDVDをボ〜ッと見ていた。

100円ショップのクロックスもどきを履いて、DVDを見つめている僕が、この曲の作詞家だとは誰にもわからないことでしょう。

素晴らしいアーティストの中にある、僕が携わらせていただいた歌。

この世の不思議。

アルバム全体を通して、僕にとっても青春の歌ばかり。

本当に人生って不思議。

高校生の頃に憧れていたアーティストの方々に歌を書かせていただく機会にも恵まれた。

それは本当にすごいことなのだと思う。

テスト勉強の時にミニコンポでカセットテープが擦り切れるくらいに聴き込んだアーティストに歌を書き、コンサート会場で握手させていただいたり、そんなこともあるんです。

人生って・・・。

いいことがあればそうでないこともあるのだけれど、それさえも、不思議に満ちていて

今息をして、こうしてブログを書き、何らかのことを伝えたいと願いながら

今から始まる、素晴らしい今日もまた与えられる1日という恵みの時間に思いを馳せる。


現実的な考え方が浸透しつつある世界の中でも、

見えない何かが導いてくれる正しい場所があるということ。

忘れてはいけないんじゃないかなと思うんです。

この世界は基本的に想念の世界であると、僕は確信しているんです。

だからこそ電気があり、言葉が意味を持ち、摩訶不思議なご縁と、螺旋のような記憶のような、悠久のDNAが心の奥にはみんな見えているはずなんです。

僕らはみんな許されている。

想像以上の大きさ愛の掌の上で守られている。

誰も理解をしてくれないように感じる時

世界全てが理解者であることもある。

心の中にはスイッチがあって、そのスイッチをちょっとONにするだけで

視界の色は全て美しく変わり始める。

今、部屋の照明を見上げるとプリズムのような線が見えています。

こういうことでさえも、この世界からのささやかなプレゼントなのだと思うんです。

善いことをすれば必ずプレゼントが用意されている。

その逆も然り。

不思議であり素晴らしき、世界中の人生。

壮大なアート。


今夜も満月の下で、多くの宴が繰り広げられ

人々は収穫を喜び、出会いを喜び、

それすらもほぼ多くの人々はあたりまえと受けとめながらも

一人一人早い人々から気づき始め

世界はまた好転してゆく日が来るのでしょう。

パラレルな層で出来ている次元のどこを選び

人生に対して、何をデザインするかは自分次第。


今日のお花屋さんとカフェのデザイン納品。

喜んでいただけたら嬉しいな。

満月みたいな笑顔が見られたらなあと思うんです。

両店共に素晴らしいオーナーさん。

本当に日々、学ばせていただいています。

何もかもがありがたく、生を受けるということの素晴らしさは、年を重ねるごとに実感となって、心を包み込んでくれる。


秋は素晴らしい季節。

恵みがあり、恵みへの準備があり、

暖かな光がある。

善い秋になりますように、出会える人々に幸せを感じてもらえるような

そんな毎日を願いながら、今朝を始めてみます。

今は3時36分。

僕の仕事部屋の界隈は朝が早く、そろそろ玄関などを掃除し始めると

近所の方々が散歩していたりします。

類は友を呼ぶ。

人は鏡。

思い上がることなく前進を。


どうか素敵な中秋の満月を味わってくださいね。

瞳で身体で。

うさぎさんもきっと地球の幸せを願いながら餅をついていることでしょう。

一年に一度の名月の日。

あなたにいつまでも本物の幸せがありますように。

 

あとじまこと