たとえそこがどんな世界であったとしても

作詞家 あとじまこと 阿閉真琴 詩/写真 イングリッシュベイ(バンクーバー)の夕焼け

たとえそこがどんな世界であったとしても

 

なんでもできる気になっていた。

倒れるなら前のめりとした。幼かった日々。

無邪気な日々。

今では、とても尊く感じられる。

50歳を過ぎ、まずは身体のあちらこち、

お知らせとしてサインが現れ始めた。

人生で、まず一番大切にしなければいけないもの。

それはやはり、健康な心と身体なのでしょう。

心と身体が健康であれば、

あらゆることは乗り越えて行ける。

きっとそうなんだ。

手を見つめる。ここに手がある。

鏡を見てみる。自分が動いている。

生きている。

呼吸をしている。

吸う息 吐く息 確かめる。

ゆっくり、ゆっくり。

息を止めてみる。

くるしい。

呼吸を始める。

目があり、顔があり、喉があり、背中があり

内臓があり、血管の一つ一つがあり

体内には体液が循環している。

身体の中の動き一つ一つを観察してみる。

昨夜の夕方は不思議な空の色だった。

黄金色の夕日が空を染め上げていた。

東の空、二重の大きな虹がかかった。

一人で見上げた、美しい虹。

美しさも美味しさも感動も

一人だけで感じることには意味があるのか

空から答えが返ってくる。

自分の中から答えが返ってくる。

「その気づきを必要としている人に伝えなさい。」

ありえないような待遇から始まったクリエイター人生。

幾度も体調と精神を崩してきた。

きっと通常では遭遇することはないような

思い出したくもないような重圧もあった。

不思議と

まだ生かされてしまっている。

まだ何かの役目がある

そういういうことなのだろうか。

あらゆることを欲しがってきた。

あらゆる出会いを傷つけてきた。

貪り続けてきた人生。

過ぎ去った人生

ぼくを見つめている。

だからこそ、伝えられることもあるのかもしれない。

愚かなぼくは思ってしまう。

「感受性に従いなさい」

「感官に酔うのではなく、感官へと良きものを届けなさい」

違和感と好感、見分ける感受性に蓋をしない。

しっかりと自分の気持ちを理解して、

違和感にも好感にも向き合うこと。

6(目・耳・鼻・舌・皮膚・心)6つの感受の窓口を開きっぱなしにはせずに

足るを知りながら、幸せを得ること。

この世界にはあらかじめ用意されているような困難はない。

全ては自分自身が作り出してゆくものなのでしょう。

健康への弊害でさえもそうなのでしょう。

ブッダが伝えたとされるヴイパッサナー冥想法。

これはきっと、大腸と小腸のコントロールを考え

食の大切さ、健康の大切さえと気づきをもたらす素晴らしい儀式だ。


生まれては消え

増えることもなく減ることもなく

この世の全ては循環している。


より良いものをと追いかけて

審美眼を失わぬように歩みたい。

素朴という美しさ。

木々に並ぶ葉っぱの生命観。

これから先どのような世界が待っていようとも

健康を心がけ、体を動かして、心を鎮めよう。

目の前の日々だけを観て歩むなら

そんなに迷うようなことは

繰り返して現れてこない。

またカルマが現れてきたとしても、

きっとそれは愉快な障害物レース。

はたまたテレビゲームのパックマン。

きっと前進して行ける。

あなたの健康をお祈りします。

健康な人生でありますように。

 

 

 

 

by あとじまこと

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