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作詞家
あとじ まこと
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#2018/9/10

 

ここから

 

今日は新月(3:02)なのだそうです。

 

古来から新月に願い事をすると、かなうと言われてきました。

 

 

 

僕は、今朝、2時50分頃に目が覚めて、部屋を掃除。願いを込めて文字を書き、

 

シャワーを浴びて、自分のホームページに4編の詩を更新してから、外に出ました。

 

 

 

5時30分頃に、朝日が空をすこしずつ明るくして、

 

見渡す雲のパノラマ。所々に薄い光がある。

 

 

 

雲の下を小さな影のように、鳥達が南へと飛んで行く。

 

 

 

空一面は雲に覆われているけれど、雨はない。

 

すこし湿った空気に、霞む立山連峰の土台が青く、雲の隙間に広がる。

 

 

 

諸行無常だからこそ、いいことが待っていると信じてきた。

 

僕はずっと、雲は空の上を回るように動き自分を中心に

 

左から右へと流れるものだと勘違いをしていました。

 

こんな年齢になって、はずかしいばかりの思い違いです。

 

 

 

日本の雲は基本的に、西風に乗り

 

西から東へと流れるのですね。

 

そうして見ていると、西からゆっくりと流れてゆく雲が

 

東へと渡ってゆく姿を確認することができます。

 

 

 

最近まで雲は東風に乗っていました。

 

東風を「春風」というのに

 

作詞家でありながらそんなことも知りませんでした。

 

 

 

一年の中で風に合わせ雲は流れを変える。

 

まるで運の流れのように。

 

そういえば、「雲」は「運」とも言いますね。

 

 

 

あの先には一体何があるのだろうと思いながら

 

もう一度、僕は空を見上げました。

 

 

 

何事にも関連付けてしまう癖を持つ僕は

 

雨空や台風などを人生になぞらえたりします。

 

 

 

そうして考えてみていると、雲ばかりだった空の一面に

 

少しずつ光の筋が広がってゆく。

 

やがて雲がなくなるわけではないのですが、

 

見つめていた部分の空が明るくなってゆく。

 

 

 

偶然なのでしょうけれど、そんな偶然に

 

僕の心は少し救われたりします。

 

 

 

この世の法則の一つは「諸行無常」。

 

つまり、この世界の中で、

 

移ろい変わらずにいられるものは何一つとしてないということ。

 

人の心も、物事も、物体も、あらゆることが移り変わってゆく。

 

 

 

良いことがあればそうでないことが次にあり

 

良くないことがあれば、その後には良いことがある。

 

 

 

雲もまた西から東へ東から西へ。

 

いつまでも同じということはないのですね。

 

 

 

人間万事塞翁が馬。

 

 

 

天地災害に、僕たちは無力さを感じたり

 

僕などは自分の無力さ、未熟さを痛感し

 

自分自身の愚かさに、人と会うのさえもためらいそうになるときもあるけれど

 

それでも、今というときを生きているなら

 

きっと良くして行こうという思いがあるなら

 

心も身体も経済も社会も、また明るくなるのだと思うのです。

 

 

 

欲が生み出すのは混沌と繁栄

 

諸行無常と並び、この世界の法則である「すべての苦しみは執着(欲)が生み出す」

 

諸行無常も、執着についても仏教の言葉です。

 

僕は昨年、ティク・ナット・ハンというフランス(ベトナム生まれ)の僧侶の書籍を読み、衝撃を受けました。

 

Googleや海外の大手企業で積極的に採用されている「マインドフルネス MINDFULNESS」という「気づきの瞑想」を人々に教え続けている方です。

 

 

 

 

 

すべては諸行無常の中で、自分の心を体の中に返す。

 

心と体が一体となっていることを確かに確かめる。

 

そんなことを教えてくれています。

 

 自分を見失っていた僕には、それは大きな気づきでした。

 

と言いつつその後も、自分でありながらそうでないような生き方でしたが・・・。

 

 

 

貧乏だった僕は、2000年に作詞家になり

 

環境が大きく変わり、思い上がり

 

やがて自分を見失いながら日々を重ねてきました。

 

 

 

作詞家になりたての頃は

 

まだ何らかの大きな力が働いていたり(誇大妄想気味ですが)

 

自分自身の中にもピュアな少女性のような少年性のようなポエジーがあり

 

それが少しは世の中のお役に立てたこともあったのかもなどとは思いますが

 

人ともあまり会わず、自分の好きなことだけをする生活は

 

やがて、大切なものを少しずつ指の隙間からこぼれて行っていることに気づくのでした。

 

 

 

貧乏とは、お金がないことではなくて、まだ何かが足りないと思う心のことを言うそうです。

 

 

 

 

 

そう考えると、現代は、少しずつ心の時代へとシフトしてきたとはいえ

 

僕らはまだまだ美味しいものや、煌びやかなものを追いかけ続けている。

 

自分の規格以上の何かになろうとしてしまう。

 

身に余ることという言葉がありますが、身の程を知るということ。

 

僕は知らなかった。

 

 

 

僕は1年前に食生活を一日一食にシフトしたのですが

 

ある時からまた、身体を鍛えたい(自分を良く見せたい)という欲が湧き

 

結局また肉なども食べ、三食を食べるようになってしまっていました。

 

 

 

もちろん、肉体労働の人々は三食しっかり食べるべきですが

 

僕のような頭脳労働者は、はっきり言って、三食は食べ過ぎなのだと思うのです。

 

一日一食にすると、お腹が空くのが心地よく

 

何を食べても美味しくなります。

 

 

 

ここしばらくまた一日一食に戻したところ

 

粗食でも本当に食事が美味しいのです。

 

 

 

ビューティ(美)を求めるのかアート(技)を求めるのか。

 

そんな言葉が心を巡ります。

 

人が美しさを見る場合、ビューティとアートの二つの観点があり

 

どちらを求めるかは人それぞれですね。

 

 

 

納豆とご飯は、実はアートだったりします。

 

小洒落たドレッシングのサラダもいいけれど

 

多くの工程から生まれた納豆と、農家さんが心を込めて育てられた米や麦はアート。

 

愚かな僕が三食なんて食べてしまっては、天に失礼だと思い

 

二食を天と大切な人々へ捧げるつもりで、一食だけいただいていますが

 

とても快適です。

 

 

 

東京にいるときは財布の中も安定していて

 

本当によく食べて、よく飲みました。

 

朝まで何杯ものシングルモルトを飲み、開け方にカレーを食べて帰宅をしたりしていました。

 

 

 

そのときは楽しかったのですから、それで良しなのでしょうけれど

 

あの頃に、今のような気持ちでいられたなら

 

どんなに幸せな人生を送れただろうかなどと思います。

 

 

 

ひっそりといられたなら

 

このようにインターネットに書きながら相反する思いですが

 

ひっそりと暮らしたくて、

 

僕は作詞家の仕事を受けないことにしようと決めたのです。

 

昨年のことです。

 

様々な気づきがあり、身近な人々を守りたいという思いから

 

これ以上、自分の名前で作詞の仕事をするのはよそうと思いました。

 

 

 

執着はよからぬ人の思いを呼び込みます。

 

そうして今もまだ僕は執着のど真ん中にいます。

 

この執着をどうにか、幸せへと転換しないことには

 

それこそが周り全てが幸せになる本当の道なのでしょう。

 

 

 

自分の小ささを痛感しています。

 

自分の愚かさを痛感しています。

 

持っていたはずの誠実さの欠如を痛感しています。

 

 

 

それでも、生きてゆく先には

 

きっとこんな僕でも誰かのお役に立てることがあるだろうと

 

今も、前を向き続けています。

 

 

 

まるで荒れ狂う天気の移り変わりのような日々の中で

 

今朝、見渡した雲は、まるでヨーロッパでいつか見た絵画のようでした。

 

ルーブル美術館にあった宗教絵、ベルサイユ宮殿の壁画、

 

そこにあった雲のように見えました。

 

そして今はまた雨が降っている。

 

本当に諸行無常です。

 

 

 

人生、風が荒れることもある。

 

今朝の空みたいに曇りでも、雨がなければ案外快適です。

 

涼しくもあり、何もこまらない。

 

晴空をいつでも望んだりしてしまうけれど

 

どんなに曇っていても、雲の上には青空がある。

 

今は雨が降っているけれど、あの雲の上は晴れている。

 

 

 

人の心も同じなのだと思うのです。

 

誰もが自分に敵対しているように見えたとしても

 

それらの雨の向こうには必ず青空がある。

 

こちらもまた青空を持ちながら雨を降らしてしまったこともある。

 

 

 

いつどんな時も、「晴れたらいいな」と思いながら

 

「きっと大丈夫」と思いながら暮らしたいと思うんです。

 

 

 

ここ数ヶ月、僕は何かにとりつかれたかのように

 

前へ前へと向かい自分自身を見失っていました。

 

そんな中で、ここ数日の様々な出来事は

 

ラストチャンスとして、僕に何かを教示しているように思えるんです。

 

そしてもしかしたら、世界はつながっているのだから

 

あなたもそうなのかもしれない。

 

 

 

失いかけた心を取り戻さなくてはいけない。

 

 

 

もちろん、世の中の大多数の人々は立派な方々です。

 

 

 

でも、僕のように、自分本意で生きてきてしまった人もいる。

 

 

 

本当に誰かの役に立てることをしたい。

 

そう思ってこのブログを書いてみたのですが

 

きっとこれも自我のつよさだけなのかもしれません。

 

 

 

誰も理解してくれていないように思う時

 

全てが理解者であることもあり

 

真実は誰も知らず、それぞれの概念で世界は動いているのだそうです。

 

 

 

明るい未来がまたすぐに開けてゆくことを願っています。

 

 

 

今日は新月。

 

 

 

多くの人々が世界の平和を、身近な人々のことを、そして自分自身の心について

 

祈り捧げる日。

 

 

 

曇り空くらいでいい

 

時々の青空でいい

 

傘をささずに、空を見上げられるような

 

時には一筋の光がさすような

 

そんな世界ならいいなと思います。

 

 

 

やがて虹が差し

 

また青空が来ると信じて。